「あの車に乗りたい!」創業者・山本展央の思いが
バイエルン・オートの発端
日本がバブル景気に入る少し前…。
当社の創業者である私、山本展央は、インテリアコーディネーターとして会社勤務をしていました。
毎日、通勤途中のカーディーラーに並んでいる輸入車がどうしても欲しくて、「あの車に絶対に乗りたい!」という思いで仕事に励みました。
恋人(今の妻)にも節約デートをお願いし、毎月貯金をし、数年の月日が流れ、ようやく購入のメドが立ちます。
手に汗を握り、意気揚々とカーディーラーへ向かいました。
…しかしその時、気持ちを打ちひしがれる事が起こったのです。
「キミなんかには買えないよ。」という空気がショールーム内に立ち込めていました。
しっかりと貯蓄し、購入できるお金をセカンドバッグに入れて持参しているのに門前払いする気満々の雰囲気を察した私は、恋人と共に落胆。
そして、「自分が全面的に納得するカーディーラーで購入しよう!」と決意したのでした。
ショップを求めて800km
二人一緒に日本全国のさまざまなショップを経て800kmあまり。
たどり着いたのは神奈川県横浜市の輸入車を300台ほど保有しているB社でした。
B社のオーナーに、これまでの経緯をお話ししたところ、「そんなことなら自分たちでやってみたらいいよ」と言われました。
昨日今日に出会った、「高知から車を買いに来た」という情報しかないのに、そんな気やすく話を持ち掛けるオーナーの言葉に、少しの不安もありましたが、二人は勢いに任せるような、でも「自分たちの理想のカーショップを実現したい」と思う気持ちも膨らみ、OKを出してしまいました。
オーナーからの提案は次の通りでした。
●とりあえず事務所と電話を用意すること。
●全国区の車雑誌に広告を出すこと。
●気に入った車を1台だけ購入しなさい。あと3台は展示車にし、売れてからの支払いでかまわない。
今にして思うと、私たち2人にとって、無理のない方法を提案してくださったと思います。
当時は車が飛ぶように売れた時代。車好きは全国のカーショップの車を雑誌で見て、お気に入りの1台を掘り出して購入するというような風潮でしたから、「やってやれないことはないかも」と、オーナーの言葉を信じ「清水の舞台から飛び降りる気持ち」で開業を決意しました。
お目当ての車を買いに行っただけなのに、なぜか大事(おおごと)になってしまいましたが、「ご縁」をいただいたのだ、とチャンスにチャレンジすることにしました。
プレハブに仮設トイレ
というスタイルでスタート
高知に戻り、広告を出すためにとりあえず住所と電話、そして屋号を用意しなくては!と、慌ただしく準備しました。
1986年12月5日。年の瀬に差し掛かろうとする時期にオープン。
屋号は、人気の「BMW」の故郷・ドイツのバイエルンからいただいて、「バイエルン・オート」と名付けました。
大津バイパス沿いに60坪の土地を借り、砂利を敷き、プレハブを建てました。
しかし、なんとトイレは仮設トイレ。妻はその仮設トイレを毎日ピカピカに磨いてくれました。
そんな急ごしらえのカーショップでしたが、車好きには関係なかったようです。
全国から車を求めて電話が鳴りました。
「これはすごい!」…私と妻は手応えを感じ、車屋稼業に没頭していきました。
納車や買い付けなどで数日間店を空けることもありました。留守番電話をセットして、店頭には「東京にBMW525を納車に出かけています。○月○日には戻ります」というような張り紙をして出かけました。
携帯電話が一般的になっている今にして思うと、「よくそんな環境でやれていたなあ…」と自分たちでも不思議な状況でした。
お客さまがお客さまを呼ぶ
どんな世界でもマニアという「珍しいもの好き」の「人種」がいます。車好きもその例外ではありません。
『事務所がプレハブで仮設トイレなのに、四国で初めて右ハンドルのBMWを並行輸入したりする高級車を扱う風変わりなところがある。』マニアの中で話題にならないはずがありませんでした。
ありがたいことでした。
ある日、高知の車好きの中でも有名なある男性が、「なんか変わった車屋ができてるんだけど」と、冷やかしに来店してくれました。
それから、そのお客さまに連なるようにお客さまが立ち寄るようになり、少しずつ「店舗らしく」成長をしていくことができました。
雑誌広告からの売買も好調で、開店から3年経たない1989年9月、大津バイパス沿いにあるマンションの1F店舗(現在の場所)に移転しました。
新たな船出に新メンバーを
移転ということは、店舗が広くなる。店舗が広くなるということはさらなるサービスの充実が必要である。2人体制では厳しいと感じはじめていた頃、ディーラーで整備士として働いている知り合いが入社。
輸入車について1から学ぶため、横浜のB社に7カ月間研修に行かせました。その間、B社には働いているものの教えていただくので、給料はこちらで支払うようにしていました。
慣れない都会で短期間の厳しい研修を乗り越え、23歳の若さで高知有数の輸入車メカニックとして育って帰ってきてくれました。
この新メンバーこそ、バイエルン・オートになくてはならない、「大番頭」の門明正憲。
“三人寄れば文殊の知恵”、“毛利元就の三矢の教え”のように、「無敵のトライアングル」となり、移転1周年を迎える前の1990年7月1日、”株式会社”バイエルン・オートとして法人設立ができました。
順風満帆の中、
さらなるサービス向上に努め続ける
国産車、輸入車とも車業界が新型車をたくさんリリースする時代だったため、業績は順調に伸びていきました。
しかし、日本はバブル景気の終わりを迎え、同じ大津バイパス沿いの同業企業の中には苦戦を強いられているところもありました。
その中で生き残ることができたのは、お客さまがお客さまを紹介してくださる、そんなおきゃくさまの支えがあったからだと思います。
お客さまに愛していただけるお店づくりができたのは、
「車を買いに来た人間が気を遣うような、あの冷たい雰囲気」を自分たちのお客さまには味わわせたくない。どんな小さなことでも、お客さまの幸せのためなら笑顔で耳を傾けよう。
創業のきっかけになった、あの店で起こった出来事があったからこそ、今のバイエルン・オートがあります。
創業当時の私たちには、できること、やれることがほとんどありませんでした。だから、できることを少しずつ増やしていこうと考え、行動することができました。
若い整備士を育てるために、県外の高い整備技術を持つ企業に、給料を支払いながら「弟子入り」させてもらうこと。
お客さまとのコミュニティを作るために、ツーリング企画を定期的に開催すること。
ツーリング参加者の中で、お客さまなのに、「バイエルン・オートで営業がしたい!」と立候補してくださり、初めて営業社員ができたというエピソードもあります。(それまでは私と妻が営業もしていました)
技術面でもコミュニケーション面でも、お客さまに満足を感じていただけることが一つひとつ増えていきました。
大きな試練~高知大豪雨
おかげさまで業績も着実に伸び、プライベートでも親として家族のスタイルができてきた頃。
「そろそろもうひと頑張りしてみようか」と、自社店舗建設を計画していた矢先に、悪夢のような出来事が起こりました。
1998年9月24日・高知大豪雨です。
たった1日の大雨がもたらした大水害。店舗のある大津をはじめ、高知市一帯がアマゾンの湿地帯のような景色になってしまいました。
当社も水没してしまい、店舗も展示車両も無残な状態に…。
何から手をつけたら良いかわからなく、途方に暮れました。しかし、弱音を吐くこともなく、連日連夜、泥にまみれながら復旧作業に精を出すスタッフたちの姿を見て、熱いものが胸にこみ上げて来ました。
なんとか整備スペースを確保し、泥に浸かってしまった車の分解修理を始めた頃、数名のお客さまが来店してくださいました。
泥に浸かったことを承知で車を購入してくれるお客さまに、感謝の涙で頭があがりません。
不思議なことに、その時に販売した車は、その後も水没による故障は一切ありませんでした。
…神様はいる。
神は乗り越えられる試練しか与えないというけれど…
この壊滅的な被害から立ち直り、さらに飛躍できたのは
お客さま、提携業者さま、そしてスタッフのお陰であると
感謝してもしきれません。
もっと喜ばれるお店に、喜びをもって働ける企業に成長し続けようと改めて心に誓った出来事でした。
前進あるのみ!
辛いこともありましたが、多くの人の支えがあることを改めて実感し、新たな世紀を迎えてからは、ただただ『前進あるのみ!』という気持ちでした。
整備技術面では、コンピューター制御を導入した車両に対応させるための専用テスター導入など、メカニックの作業環境を充実させるための努力を惜しまないようにしました。
輸入車の正規ディーラー契約にも積極的に取り組みました。
2000年からは高知輸入車ショーにも出展。
サービスの拡大と充実を一番に考えています。
コンプリートカー
長く車の販売や整備に携わっていると、いろいろなことが見えてきます。
昔は「この車が欲しい」というお客さま主体で車を探す傾向だったが、今はカーショップも提案ができないとお客さまに納得していただけない時代になりました。
マニアなお客さまは知識が豊富になり、私たちにプロとしての意見を求めてきます。
また、それとは真逆で「メーカーや車種はわからないけど、こんな車がいいなあ」など、ふんわりとしたご要望のお客さまも増えています。
どちらのお客さまに対しても的確で細やかな提案が必要となってきます。
その傾向を表しているのが「コンプリートカー」市場の人気です。
コンプリートカー市場とは、ノーマル車にオリジナルのチューンナップやドレスアップを施して、コンプリートした車両を販売する市場のことです。
「自分だけの1台」を手に入れられる喜びがコンプリートカーにはあります。
私は、コンプリートカーが1つのスタンダードなスタイルとして確立するのではないかと考えました。
2012年、コンプリートカーのトップブランド「M'z SPEED」と正規ディーラー契約をし、バイエルン・オートのショールーム東半分を「M'z SPEED」としてリニューアルオープンしました。
この写真は、「M'z SPEED」のコンセプトに沿ったラグジュアリーな雰囲気のショールームで、親しいお客さまをお招きしてのオープニングパーティを開催した時のものです。
GM社マスターメカニック 認定
2015年の秋、日々地道に技術向上に努めるメカニックスタッフにも記念すべきことがありました。
GMジャパンの整備技能認定資格制度の最高難易度資格「マスターメカニック」に、バイエルン・オートのメカニック・藤本司が認定されたのです。
1992年4月に入社して22年目の春。常に向上心を持ち続け、勉強する姿勢が大きな実りをもたらしたのだと思います。
業界でも注目される
バイエルン・オートの整備技術
工場長 福井を筆頭にバイエルン・オートのメカニックスタッフの技術力は、お客さまはもちろんのこと、業界内でも厚い信頼を置いていただいています。
当社でご購入いただいたお客さまのメンテナンスをするのが通常ですが、有名大型カーショップチェーンから「特殊な車の修理を相談されたのですが、ウチでは対応できないのでお願いできますか?」と相談され、特別に承ったこともあります。
お客さまに喜んでいただけること、創業時の夢が成長し続けていることにとても感謝しています。
国産車・輸入車問わず、さまざまなメーカーの車を整備できるのがバイエルン・オート。メカニックスタッフのクラフトマンシップをかきたてられる、この環境は自慢であり、愛車を託してくださるお客さまあってのことだと思っています。
車を通じて、本当の幸せを末永く。
創業して33年が経ちます。
この頃ふと、子どもが創業時の自分たちの年齢に近づいていることに気づきました。
そして、一緒に歩んできたお客さまも、子どもができたり、お孫さんができたり、と年輪を重ねています。スタッフの家族も増えてきました。
二代三代と引き続いて車を任せていただけるお客さまが年々増えています。
「子どもの頃に父によくバイエルン・オートに連れてこられたことで車好きになった」
「お母さんにはナイショと言われながら、父によく連れられてきた」
そんな二世オーナーが、我が家のように信頼を寄せてくれることが嬉しい。
お客さまをよく見ていると、その時のライフステージで車の好みが変わっているのがわかります。
20代はとにかくカッコイイ車を求められる方が多い。恋人ができると乗り心地などに気を配りはじめる。結婚し家族が増えるとワンボックスカーとなり、子どもたちが巣立つと再び冒険したくなる…。
私たち車屋は、お客さまの車に対する好みの変化で人生の変化に気づくことができます。
車は密室なので、けっこう大切な話をする空間でもあります。
告白やプロポーズなどが車中だったという話もよく聞きます。
車を通して、お客さまの人生に関わらせていただいている…
そんなことを考えていると、まさに、車は絆をつくるものである、とつくづく思います。
私たちは車という「モノ」を売ったり直したりしている。
しかし本当のところはちょっと違うと思っている。
多くの人の「幸せ」のために、私たちが売ったり直したりしている「カタチ」が車なのではないだろうか。
そして当社も次の世代へ
多くのお客さま家族の歴史を見守らせていただいた私たちですが、おかげさまで1つの区切りを迎えることができました。
2023年の春、長男・山本健斗にバイエルン・オートの「ハンドル」を握ってもらうことになりました。二代目・代表取締役社長の誕生です。
夫婦で多忙を極めていた最中での子育てでしたので、私たちのバトンを受け取ってくれるのかどうかを気にしたり、気にしないようにしたり、の繰り返しでしたが、健斗(あえて名前で)は極々自然に手を差し伸べてくれたように思います。
武者修行を経て、当社で店長として約2年勤め、さあいよいよ!の新たなスタートです。
「今のニーズに応える技術や対応力を磨き、おもてなしの心を大切に成長し続けてほしい」これが創業者である私の願いです。
車を売らない車屋
最後にこんなエピソード。
ある若いお客さまが、「外車が欲しい」と店を訪れました。
長い車屋人生の経験から、そのお客さまにとってご希望の車はちょっと背伸びしすぎだと感じました。
いろいろ話をして、最終的に「その車をどうしても買いたいなら、もう少し先延ばししたらどうだろう」という提案をさせていただきました。
車を売るのが仕事だけど、売れない。
売ってしまったら彼は幸せにならないことが明らかだから。
車を手に入れた一瞬の喜びだけでは快楽でしかありません。
乗る度に愛着が増す喜びを味わってほしい。それが車を持つ幸せだと思います。
乗り続けていくことが苦痛になり、泣く泣く手放すのは不幸でしかありません。
・・・
そのお客さまは、数年後、成長して再び店を訪れてくれました。
「今度は買える。買うならここで買いたい。」と・・・。
そう言っていただけたお客さまに、私は心の中で涙が止まりませんでした。
これからも、バイエルン・オートは車を通して多くの幸せのお手伝いをしていきたいと考えています。